2022年2月18日金曜日

田島セミナー「城南市民カレッジ歴史入門講座」を開催しました

 「油山天福寺の歴史」~田島校区の歴史を学ぶ~

2月13日(田島セミナー歴史入門講座3回目は、福岡大学人文学部歴史学科考古学研究室 4年 濱邊 空さんを講師に迎え、「油山天福寺の歴史」を学びました。


     

           講師: 濱邊 空さん




💜油山天福寺の名前、ご存じの方おられますか?油山の何処にあって、どのようなお寺なのか、興味を持って、濱邊さんの講義を聞き始めました。
油山は、福岡市民なら、特に城南区民にとって、濱邊さんもおっしゃっていましたが、富士山より身近で親しみを感じている山です。


油山の歴史 
油山の名前の由来は、福岡藩の国学者・貝原益軒が著した『筑前国続風土記』によれば奈良時代の伝説的高僧清賀上人が油山山麓で胡麻を栽培して各寺院に供給していたことによるそうです。                  
平安時代後期には、油山には東油山泉福寺西油山天福寺の二大寺院があったと考えられています。そして、油山採集の薩摩塔の存在が明らかになったことにより、油山は中国商人の眺望する霊山の一つであることが明らかにされました。


天福寺の研究 
西油山天福寺の現在は、一部が林道や資材置き場、他は鬱蒼と茂る藪の中に眠っています。 貝原益軒『筑前国続風土記』によると、背振山東門寺との抗争で、中世期(鎌倉時代)のうちに廃絶したと思われます。
油山天福寺から出土した梅瓶から、13世紀の日本と中国との関係、博多のチャイナタウンの 形成の様子がわかってきます。
13世紀後半には、油山天福寺の梵鐘(現防府天満宮蔵)が鋳造、寄進されたと考えられて おり、銘より宋人僧の関与が記載されています。
また、油山天福寺は、博多湾~樋井川を通して中国海商との結びつきが強固だったと考えられ、大きな力を持った権門勢力であった可能性があります。



💜今は無き油山天福寺が、濱邉さんたちの研究により再び甦り、当時の博多の様子、身近な樋井川や鳥飼・草香江との関係など知ることが出来、とても興味深い歴史講座でした。


💛参加された方のアンケートより

❤油山天福寺と泉福寺、中国との関りが大きかった事をしることができた。

❤今まで何度か習ってきたことを深く知ることが出来ました。

❤はっきりと分かりやすいとおもいました。

❤良く研究されていると思い感心しました。

❤歴史ある天福寺が現在雑木林になっているのは本当に残念に思います。

また、今回の講座の様子が、j:COMWeeklyトピックで放送されます。
放送日は、2/19(土)と 2/20(日)の 11:00~、 14:00~、
17:00~、 20:00~ です。
講師の濱邉さんのインタビューなどが放送される予定です。