2021年4月9日金曜日

ふれあい学級

 ふるさとかるた風土記 ・・・福岡かるた探訪・・・


3月19日(金)ふれあい学級の閉講式を行いました。


 今年度はコロナ感染対策を考慮して、毎回参加人数を限定していました。

そのため、毎月のふれあい学級を楽しみにして下さっている皆さんにご参加いただけない

こともありました。

 今回は、今年度最後のふれあい学級という事で、午前午後に分けて同じ内容の講義を

していただくことで多くの皆さんにご参加いただくことができました。

閉講式は、郷土史研究 ふるさとかたりべ 岡部定一郎さんに福岡かるた風土記をテーマに、

福岡とかかわりの深いかるた・百人一首についてお話していただきました。



 皆さんは、かるた発祥の地が福岡だったことご存知でしたか?

16世紀末にポルトガルから伝来したカルタを「天正かるた」として日本で初めて作ったのが

三池、現在の大牟田市だったそうで、かるた発祥の地ということを記念して1991年に

かるたの資料館も作られています。

 また最近では、百人一首ブームを巻き起こしたマンガ「ちはやふる」の作者が

福岡出身だったりと、福岡とかるたとは深い関係があることなどお話して下さいました。


 今回は百人一首に収められた詠み人で特に九州にゆかりのある歌人を中心に紹介して

いただきました。

 
 
~ 難波津に 咲くや この花 冬ごもり 今を春べと 咲くや この花 ~
  
 この和歌をご存知ですか?

 実はこの和歌、小倉百人一首には入っていないのですが、代表的な和歌の一つで
競技かるた大会では試合開始の合図の歌として詠まれているそうです。

《語訳》
難波津に咲く梅の花よ 冬の間は芽を出さなかったが 今は春だと梅の花が知らせにきたよ


梅の花と言えば菅原道真公と太宰府天満宮、また福岡県の県花はということでここでも
福岡とかるたのつながりを感じます。

 百人一首の詠み人100名のうち30名が九州にゆかりのある歌人で、藤原定家、天智天皇、
清少納言、柿本人麻呂、紫式部、小野小町など歌人としても名を成した方々を和歌と共に
解説して下さいました。


 その中で、現在でも美女の代名詞として有名な小野小町についてのお話が
とても印象的でした。

小野小町の父親が一時肥後(現在の熊本)に滞在した際に小町が生まれ、産湯をつかった
とされる場所に公園が出来ていて、そこには歌碑などが建っているそうです。

 花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに

《語訳》
  咲き誇っていた花も、すっかり色あせてしまった。
  私もむなしくこの世で年をとってしまった。物思いにふけっている間に・・・

写真は岡部定一郎さんの著書より


 あの絶世の美女、小野小町も花の姿に自分の生涯を重ね合わせ老いてゆく行く自分の姿を
憂いていたのでしょうか。

 あの小野小町でも老いるということを気にしていたのかと思うと、
いつの時代でも女性にとっては永遠の悩みなのでしょうね。


 学生の頃に一生懸命に覚えた百人一首。
今回、岡部定一郎さんのお話を聞いて改めて、五・七・五・七・七の31文字に込められた
歌人の想いを読み解くおもしろさを教えていただきました。

岡部定一郎さんの著書「福岡かるた風土記」を公民館に寄贈して頂きました。

図書室にも、百人一首の本がありますのでご興味を持たれた方は是非ご覧になられてみては
いかがでしょうか😊


「福岡かるた風土記」は現在貸し出しをしておりませんので、事務室の職員に
  お尋ねください。